90年代に日本が受けた2つの変化

冷戦終焉による潜在成長率の低下バブル膨張の影響があったとはいえ、九一年時点ではわが国の政府債務残高の対GDP比は五八・二%と、欧米主要国に遜色がない水準であった。

当時は欧州通貨統合への参加基準を満たしていた。しかし、それ以降は他の主要国とは逆の方向に向かい、九八年にはついにGDPを上回ってしまった。ではなぜ、九〇年代に入って、政府債務の急速な増加が続いたのか。以前から日本では、景気が停滞すると、財政拡大が必要であるという議論があたりまえのようになされてきた

市場メカニズムで動いている経済を、あたかも操作可能な体系として理解して、「需給ギャップが拡大しているので、その分の需要を埋めるために、財政支出の拡大と減税が必要である」、あるいは「経常収支が大幅な赤字なので、財政赤字を拡大させるべきだ」といった短絡的な主張が、エコノミストを自称する人々から繰り返し主張されてきた。

九〇年代に入ってからは、こうした主張と大きな構造変化の時期に特有の不安心理とが互いに共鳴しあって、大規模な対策を繰り返し行うことになった。だが、九〇年代の日本経済は単なる需要不足によって低迷を続けてきたのではない。これまでは需要不足が強調されてきたが、経済成長を規定する資本・労働・生産性という供給サイドが大きな変化を迫られてきたことに注目を払うべきである。

九〇年代に入ってから、日本経済は、二つの変化の影響を受けてきた。

第一は、冷戦後の世界経済の大きな構造変化であり、第二は、労働人口の減少である。これらがわが国経済に新たな対応を迫ってきた。冷戦終焉によって、世界市場での競争環境は大きく変貌した。政治的には東西の壁が倒壊したわけだが、経済的には「南北」の壁が取り払われたからである。

二〇数億人の人々が市場経済への移行を進め、安価で豊富な労働力を背景に世界経済への参入を始めた。このため、先進国をも含めて新しい国際分業が模索され、これらの国々への直接投資が急増し、労働集約的な財の生産が飛躍的に拡大した。これに伴って、アメリカでも欧州でも九〇年前後に景気後退を経験した。

とくに海外生産比率が低かったわが国への影響は大きかった。日本から海外への直接投資が増大し、本邦製造業の海外現地生産が急増し、九六年度には日本からの輸出総額を上回るまでに拡大した。これに伴い、わが国からの輸出は増勢を大きく鈍化させ、輸入は急増した。こうした動きについて、産業の空洞化というネガティブな捉え方もあった。

しかし、わが国企業が経営資源を世界レベルで最適配置し、国内では従来よりもいっそう技術・資本集約的な高付加価値分野へと特化していくプロセスとして理解すべきことはいうまでもない。こうした世界レベルでの産業構造の変化を映して、国内では業種によって成長力に大きな差が出てきた。

冷戦後の最初の景気サイクルの底であった九三年第4四半期から、ピークであった九七年第1四半期までの間に、機械などの資本財の生産が四割以上も増えたのに対して、家電、自動車、衣類などの消費財の生産はまったく増えていない。海外で生産された安価な財の輸入が急増したからである。また、九〇年代に入って物価の沈静が続いた。日本では一時は価格破壊と呼ばれ、さらにデフレと呼ばれるようになった。

だが、物価の沈静は、国内需要の不足よりも世界レベルでの産業構造の変化によるところが大きい。欧米主要国でも物価の沈静化が続いており、先進国の消費者は冷戦終焉で物価の安定という「平和の配当」を獲得した、と見るべきであろう。こうした先進諸国での物価沈静は、かつて一八七三年から二〇年間余り、ほぼ一貫して物価の下落が続いたことと対比すべき歴史的な現象である。

当時の持続的な物価下落も、後発工業国ドイツ、アメリカでの工業生産の急増と、輸送コストの下落によって新世界での穀物生産が増大したという世界的な供給構造の変化が原因であった〔富田、一九九七b〕。このように冷戦後に生じた世界レベルでの産業構造の変化によって、国内製造業の機械設備は陳腐化が進む

このため、供給能力の増加テンポは大きく鈍化する。もちろん、わが国の資本、労働といった生産要素が冷戦後の世界の産業構造に円滑に適応を遂げることができれば、潜在成長率は顕著に低下しないはずである。

だが、規制に守られた戦後のキャッチアップ型の産業構造が温存されたままであると、わが国経済は新しい国際環境に適応することができず、潜在的な能力を活かすことができない。経済審議会が九五年暮れに発表した「構造改革のための経済社会計画」のなかで、九六~二〇〇〇年度の実質経済成長率について、構造改革が進展しない場合には年平均一・七五%としたのは、このためであろう。

さらに、労働力人口の減少が潜在成長率に影響を与える。少子・高齢化は、他の先進主要国に例を見ないテンポで進み始めており、九七年の社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口」によれば、一五歳~六四歳人口は、二〇二五年までの間、年率〇・七%のピッチで減少していく。この年齢層の就業者比率が過去のトレンドで上昇するとしても、潜在的な就業者数は二〇〇五年以降減少に転じ、二〇一〇年以降には急速に減少することになる。

これに労働時間の短縮が加わり、日本経済への労働投入量の長期的減少は避けられない。さらに資本投入量の伸び率も労働投入の伸び率低下の影響を受けるので、潜在成長率は、労働投入量が変化しない場合に比べて二〇一〇年までの間は年平均で〇・五%程度低下せざるを得ない。

このように、九〇年代の潜在成長率は、冷戦終焉と労働力人口の減少によって、八〇年代の四%から一・五~二%に大幅に低下する過程にある。実際、計測された潜在成長率は九〇年代に入って四%から二%に低下しているのである。この点について、経済戦略会議の九八年一二月の中間報告では、「資本ストック、労働投入、技術進歩率等の要因から見て、依然として当分の間は二%程度の経済成長が可能と判断」と述べているが、潜在成長率が四%から低下したことには言及していない。

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